孔子様


「巧言令色鮮矣仁」
「巧みな言葉、きれいな見せかけ。とぼしいよ、精神は」


 孔子像を安置する聖龕。内の像が取り出せないよう特殊な細工が施してある。




 孔子様は、今から約二千五百年前、中国春秋時代に生まれそして七十三歳まで生き抜かれた方である。この春秋時代というのは、周王朝の権威、権力が衰え、諸侯(大名)に牛耳られ、諸侯もまた、その家臣団におびやかされるという下克上の時代であり、やがて戦国時代への移行期ともいうべき困難な時代であった。


惑いだらけの人生

 孔子も齢すでに四十歳。孔子は自ら「四十にして惑わず」と不惑の感慨を述べている。実際にこの頃の孔子の様子を史記には「退きて詩書礼楽を修め、弟子いよいよ多く遠方より至り・・・・・・」とあり、研究と教育に打ち込んでいる事が窺える。しかし、「不惑」ということばの内容があまりはっきりしない。「研究と修養と教育」に専念する事に不惑なのか、政治参加をし理想実現という目的達成に向かってつき進むということに不惑なのかその内容がはっきりしない。というのは、少なくとも四十代後半からは不惑どころか、惑いだらけの人生ではなかったかと思われるからである。もしかしたら自己の惑いの世界の実態をそのまま、許容しての或いは覚悟しての「不惑」ではなかったかと思えてならない。常識的に言うならば、惑いの人生は苦である。苦である限り、それを避けて通るのが普通一般の姿である。ところが惑いながらそれをそれを覚悟しながら果てしなき「仁」による理想政治の実現という政治参画を夢見てなりふりかまず孔子は人生を歩いたのではないか。とにかくそのすさまじさに心打たれる。

庶民のなかへ

 孔子の名はその博学と人格によって評判となり、その教えを願う人々が増え、三十才の頃、初めて弟子をとった。
 孔子は貴族階級だけが受けていた文化教育を一気に一般の人々にまで引き下げ、これを普及させて行った最初の人であつた。